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南極・昭和基地で限界に挑戦
建設工事
1986年 中途入社
大久保 篤夫
建築部 / 執行役員・部長
日本から約1万4000㎞離れた南極大陸に、地上3階建ての建物を建てる。その現場技術者をやってみないか――当時の東京営業所の所長からの声掛けに、33歳の大久保はすぐさま立候補した。「新しいことに挑戦したいという気持ちがすべてに勝り」、考える前に行動していたという。1991年11月、33次南極地域観測隊の一員として、大久保は横浜港を出港する南極観測船「しらせ」に乗り込み、12月23日、南極大陸上陸。日本から持ち込んだ1000トンを超える建築資材は、停泊地からそりやヘリコプターで昭和基地の敷地へ運んだ。ミッションは、32次隊が行った基礎工事を引き継いで工事を完遂させること。こうして、昭和基地のシンボル「管理棟」の第二期工事が始まった。
管理棟は、医務室・食堂・キッチン・通信室・図書室・娯楽室などがを持つ、基地の中心的な存在。屋上に明かり取りの小さなドームを持つ個性的な外観だ。鉄骨に木製パネルを張る工法自体は一般的なものだが、何しろ建築現場は極地、「思わぬ厳しさ」が作業を阻んだ。風速20mのブリザードは一度吹き始めると2,3日続き、その間は何もできない。遅れを取り戻すため、工事時間を延ばそうとしても朝夕は気温が低く、効率が落ちるうえ危険も伴う。さらに、建設要員50名のうち、建設技術者は大久保を含めた5名のみ。「私たちが指示して、観測隊員や自衛隊員が作業に当たるのですが、建築については皆さん未経験。時間がかったり、作業ロスが出たり、予定通りには進みませんでした」。
帰国する「しらせ」の出航は2月17日、工期を延ばすことはできない。「もちろん焦りました。でも、それで工事が進むわけではない」、大久保は気持ちを入れ替えた。大切なのは基本だったという。段取りと準備、現場のコミュニケーション。想定外の作業には建築資材をやりくりして臨機応変に対応し、状況を把握して問題は現場で共有。休日を返上し、仕事に邁進した。「資材も時間も人員も機器も限られ、追加や交換ができない環境で、試されたのは自分自身の力。忘れられない経験になりました」。ミッションは無事にクリア、「帰路は船上では、南極大陸で見たオーロラやペンギン、白夜などの自然の美しさを反芻しながら、ひたすらぼうっとしていました」。怖がらず挑戦することの意義をかみしめながら。